あけましておめでとうございます。
早速2021年の目標である毎月投稿という目標を破りました、せばすです。
PCの方は続きを読むからどうぞ
服好きの方、またはそうでない方でもあるアイテムに対してすぐ"オシャレ"だとか"エモい"だとかそういうワードを繰り出す人間を見た事があると思う。
なかったらいると仮定して読んでください、話が進まないので。
私がこういったワードを嫌いな原因はいくつかあるが、最も大きな原因として「浅い」というのが挙げられる。
例えばニット1つにしても”そのアイテムを1つ見ただけで”オシャレ"だとか"エモい"みたいな抽象的な発言をする人間は一定数見てきました。
オシャレって何?
エモいって何?
抽象的過ぎてわからん。
ここで言っているのは「抽象的過ぎるからもっと他人にも分かりやすく言葉を発しろ」というよりも「大体すぐオシャレだとかエモいだとか発言する人は思考が浅い人が多い」ということである。
私の中では
エモい・・・様々な感情が交わる思考の中で言葉にしづらい感覚に陥った結果、全てを一括りにしてまとめたもの
オシャレ・・・上記と同じような理由であるコーディネートを見た時に本人の髪型や顔立ち、雰囲気とアイテムのシルエットや色、着方などが上手く様になっていて変に一部分だけ悪目立ちしておらず全体で見た時におさまりがいいと感じるもの
しかしそれらを全て述べていると非常に長くなってしまったりするため、それらを全て一括りに考えた時に出てくる言葉
という解釈をしている。
(そもそもこういった単語自体明確な対象物や範囲という定義がない時点でこれについて文句を言うのは自分の解釈を押し付けているようで不躾かもしれないが)
前述の上記のような人間は浅い人が多いという点に関してだが、すぐこのようなワードを繰り出す人間はそのワードに辿り着くまでの思考を放棄しているように見える。
こういったワードをTwitterのふぁぼやいいねのような感覚で使っているように見受けられる。
ちなみに自分はTwitterのふぁぼやいいねは既読スタンプのような感覚で押しています。
ジャブのノリでとりあえず押します(たまに読んでないのに押す時あるけど)。
閑話休題、上記で述べたように自分はエモいやオシャレのような単語は、自分の思考が言葉に表せないときないし表した際何か相手に不都合が生じるとき(長すぎる、相手が経験したことないようなシチュエーションを例にしてしまう等)に最終兵器のような感覚で使うものだと思っている。
しかし軽はずみにそれらのワードを使う人間はこれらを「自分は思考力がない、または無知である」ということを隠せる道具として認識している節があるのではないかと感じている。
勿論この2つのワードを自分と同じように解釈している人間は自分以外にも一定数いると思う。
しかしそのような解釈をしている人間がいるということを理解した上で使うことで弱い自分を隠せるのである。
簡単に言うと何でもかんでもエモいとかオシャレって言っておけば有識者っぽいから通ぶれるよねっていう話。
大して知識も表現力もない人間には持ってこいな単語だとは思うんですけど見てる側からしたら不快感しか覚えないというか。
しかもこれらのワード、当然一言で全てを一括りにできるせいでこれらのワードを使っている人間が
「知識があるから多くの思考はできるが他人に伝えるための表現力には乏しい人」
なのか
「知識も他人に伝えるための表現力もない人」
なのか区別がつかないところがタチが悪い。
前者ならまだしも正直後者の人にこれらのワードを言われても何も響かないと思うんですよね。
例えばファッションに造形がある人から自分のコーディネートを褒められるのと、ファッションに無頓着な人からコーディネートを褒められるのだったら大体の人は前者の方が嬉しいと感じると思います。
造形がある方は単純に思考数も多いので細かいところまで見れている
→それでも褒められるということは自分のコーディネートに欠陥は少ない
ということになりますから。
しかし後者のような人達に褒められても
「でもファッション詳しくないやつに言われても参考にならないしな」
であったり
「知識ないくせに自分のコーディネートを理解したように知ったかぶりするな」
のような憤りを覚えることってありませんか?
ないならあるってことで話を聞いてください、ちなみに僕はあります(聞いてないw)。
こういった端的でなく抽象的な意味合いのワードを使用することで自分を大きく見せられるというのは俗に言う意識高い系の人間には有難いことなのかもしれない。
つまり何が言いたいかって言うとこういったワードを多用している知識もなければ表現力にも乏しいような浅い人間はまずは自分の感情を表現できるような経験や知識を付けてから表現力を磨いてくれって言うこと。
それこそ本だったり友達や家族との会話だったり感情を表現する言葉や比喩なんて生活の中でいくらでも学べると思います。
それこそ本なんて100人中100人が納得したり理解してくれるような表現から「夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに」なんていうほぼ誰も経験したことねぇだろとか誰が納得できるんだこの表現って思えるものまで。
本当に「心の底から感動した」とか「賞賛したい」みたいなものを見たり聴いたりした場合はオシャレだとかエモいみたいな言葉で一括りにするだけじゃなくてもっと具体的に表現してみろやって思いますね。
恐らくその方がより有識者っぽいですし自分を大きく見せられますし自分のためにもなると思うので。
2021年初投稿の記事がほぼ愚痴みたいなものになってしまったのには深く反省しています。
2021年もこんな感じのその場で感じたようなこととか雑談みたいなのを交えた投稿をしていきたいと思っていますので、どうぞ宜しくお願い致します。
蛇足ですが私はアイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズというクソゲームに登場するキャラクターである「島原エレナ」に対してエモいの代わりに"鬱"という単語を使うことがあります。
この"鬱"の中には
島原エレナはアイドルである以上プロデューサーである自分以上に多くの人と関わっているため辛さや精神的負荷もプロデューサーより大きいはずなのにも関わらず、ゲーム内では笑顔じゃないカードを探す方が大変なくらい表情が笑顔ばかりで何も考えていないくらい能天気なのかと思いきや、コミックス版を読んでいるとちゃんと周りのことも見れていることが読み取れてただの能天気じゃなく周囲が明るくなれるように敢えて笑顔を絶やさないムーブをしているということがわかるため、自分は島原エレナというアイドルに器の大きさで完全に負けているため完全に劣っている自分に嫌気が差して嫌な気分になる(278字)
という意味が込められているため決して思考を放棄して鬱というワードを使っているわけではないので悪しからず(早口)。
文字数の関係でツイートできなかったからスクショしてツイートした気がする。
長文スクショしてツイートしてるのってご報告系か謝罪系か見たことないけど。
キモオタ出ちゃった。
か゛わ゛い゛い゛な゛ぁ゛エ゛レ゛な゛ち゛ゃ゛ん゛
大きく吸って、せーの!
鬱
それでは。
せばす