為「せば」成る

ほど人生は甘くない

茶を濁す回(2022年4月分)

最近まで粉雪がずっとコブクロの曲だと思っていたとやま!ドットコムです!

 

1年くらい前から一人の時間の時に娯楽の一環としてゲームを嗜むという時間が減っていって"""老い"""を自覚し始めてはいたんですが街中とかでビラ配りの人にダル絡みしてるヤツとかを見るとこうはなりたくねぇ~~~~~~~~~~~~~~~って思いながらも日頃からTwitterではこんなのとかこんなのとか呟いてるせいでこのまま老いたら「もうほんとにボケちゃって…」って言われるんだろうなぁって。

でもそれに対して「ボケてねぇよ!」って返すと「お父さんもうやめて!」ってなったりするんだよね。そんな僕は今臆病な自尊心と尊大な羞恥心が抑えきれず虎になりました。

なんで僕は文字を書きながらバッドに入らなきゃいけないんですか?

 

どうも、せばすです。

 

今回は今後のブログの方針とかなんでこういう読みにくいオ〇ニーみたいな記事を書いてるのかとかそういう話を滅茶苦茶に入れた記事です。

 

別に真面目に読まなくていいです。時間の無駄!

 

までは何か1つのテーマを提示して終始そのことについてだけ書く記事のみを上げるスタイルで更新してたんですがもうそれをやめようかなと。もっとわかりやすく言うとのみを上げるんじゃなくてこういう雑記みたいなのを定期的に挟んでいくスタイルを取り入れるという報告の話です。

理由が3点ほどございまして(慶應義塾大学経済学部)、1つ目に前のスタイルのままだと更新頻度の低下が危惧されるということ、2つ目にテーマの規模による記事の量と質の差、3つ目にモチベーションの維持のためという話。

1つ目と2つ目は似たような話なんですけど、

例えばコンテンツのライブについて1記事書くとしてもそのライブに対する満足度で記事の分量と内容の濃さで差がついてしまうところと1度自分の中で内容として濃いと思えるようなものを上げてしまうと全ての記事をその記事に寄せようと思って自分では面白いとは微塵も思わないのに変に癖をつけたりとかしちゃうのでそれだと自分がこのブログに求めている要素の1つの「自分が後から読み返しても面白いと思えるか」というところに反しているんじゃないかなぁと。

加えてそのせいで1つ前の記事と分量の差がありすぎるとこれだと質が低いからあげられないとか試行錯誤して更新頻度が下がったりそもそものテーマの時点で厳選する必要性が出てくるのでそれも更新頻度を下げる要因の1つになるんじゃないかなと思っているわけです。実際更新頻度が低いのはどうにかしなきゃならんなぁとは思ってたので。

さっさと書けって意見も怒涛のように2,3件ほど来ました。あと何より書いてて楽しくない。正直今自分で過去の記事見ても何ッッッッッッッッにも面白くない。

 

だからこういう雑記みたいな記事を挟むことで当初の目的を見失わずかつこのテーマ1つで記事は書けないけど雑記の中に入れるくらいなら…という思考にして○○について書きたいのに書けないという状況を作らないようにすることでモチベーションの維持にも繋がるという算段です。これが俺のやり方だ長州力。誰の真似もすんなってミスチルも言ってたじゃん!

 

……とウッキウキの見切り発車でこのブログのレシピを書いたわけですがこのスタイルをいつまで継続するのかとかは考えてません。というかそもそも継続できるのかもわかりません。ワンチャン机上の空論になる。

 

このブログが読まれる理由は1000個以上ある
そしてこれからの戦略も1000個以上ある

 

この精神で継続していこうと思います。継続は力なり、つまり継続は力であるということです。人生はメメントモリやで!

 

でも流石にこんなノリの記事に味を占めるのもそれはそれで目的を失ってる気がするので1ヶ月に一回とか1記事毎とか適度な頻度で使っていこうと思います。

 

それだけ。

 

せばす